私のお墓づくりへの想い

終わりに

 その糸口となった五来重先生の文章をここに引用させていただきます。
 「やはり宗教は「生」と同じというよりは、生よりも重い「死」のためにある。三十六億の人口には三十六億の死がかならずあり、一億三千万の人口には一億三千万の死がかならずある。それをうけとり、その霊にやすらかな無限の世界を与えるのは、宗教のほかにはない。これは日本仏教にはかぎらないのであるが、特に日本人は死者の霊魂の実在をつよく信じ、これを鎮めたり慰めたりして、その恩寵をもとめる民族であった。それも先祖から子孫へとつたわる系譜的霊魂の実在を信じたから、葬式と供養が日本の家原理をささえ、社会秩序と歴史の原理にさえなっている。日本仏教はただ葬式だけを執行して来たのでなく、葬式を通して日本人の精神生活をゆたかにし、社会と歴史をささえて来た。
 坊さんの執行する一つ一つの葬式は暗くささやかであるかもしれないが、日本仏教として総合された役割は大きかった。そのために大きく言えば、日本の仏教文化は花開いたのである。葬式と供養の場として寺が建てられ、仏像がつくられ、経典が写された。平安鎌倉の写経奥書も、石造美術の銘文も、目ざす死者の成仏と往生のためでないものはない。阿弥陀如来像はかつて日本に存在した最も華麗な道長(藤原道長:筆者注)の法成寺(ほうじょうじ)の九体阿弥陀をはじめ、村々の阿弥陀堂の本尊に至るまで、臨終仏や供養仏として造立された。拝観者や展覧会のための作品でないことはいうまでもない。山越(やまごえ)の弥陀図や聖衆来迎図などの絵画も同じことであるし、融通念仏や六斎念仏、あるいは歌念仏や和讃、踊念仏、大念仏、念仏狂言から盆踊にいたるまで、葬式と供養の必要が生みだした日本人の宗教文化であった。
 このような宗教文化創造の原動力は、日本人の死者の霊魂の実在観と不滅観であったと私は考えている。」(註3)

古代より、自然と共存する文化を持ってきた日本人にとって、大切な人の死により生ずる「悲しみの心」だけではなく、「自然の猛威や災害を畏れる心」や「祟りを成す死霊を畏れる心」に対してもそれらの心を良い方向に導くための宗教として、仏教が先祖供養という形で、または祈祷という形で、日本人の心に深く係わってきたのは極めて自然なことではないでしょうか。
 「畏れる 祀る 鎮まる 恩恵を受ける 感謝する」という日本人の心の底辺に流れる想いは、悪用されれば「七代前の先祖が祟(たた)っている」という霊感商法にもつながるでしょうし、また「悪いことをすれば、神様仏様の罰(ばち)が当たる」という心のブレーキにもなるのではないか、と私は感じています。
 私にとって「神様・仏様・ご先祖様」は尊い大切な存在です。早朝の神社を参拝した時のすがすがしさや、一心にお念仏を称えることで感じる温もりや、お仏壇の前で手を合わせたり、お墓を掃除することによって得られる安心感は、本を読んだり、話を聞いただけでは、感じることはできないことだと思っています。
 今に伝わる伝統的宗教は、意味のない過去の習慣でもなければ、昔の人にしか通用しないまじないでもありません。私はその伝統的宗教の中に今の時代にも通ずる、先人達の善意に満ちた叡智の結晶が、ぎゅっと詰まっているのではないかと思えてならないのです。
 最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

合掌

註3/『先祖供養と葬送儀礼』 日本仏教と葬制 五来重 大法輪選書

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○ 主に参考にさせていただいた文献
『日本人のお墓』 小畠宏允 監修・編著 日本石材産業協会 / 『先祖供養と葬送儀礼』 大法輪選書 / 『江戸幕府の宗教統制』 圭室文雄 評論社 / 『お盆のお経 仏説盂蘭盆経』 藤井正雄 講談社 / 『知識ゼロからの神道入門』 武光誠 幻冬舎 / 『岩波仏教辞典』 中村元 ほか 編集 岩波書店
その他各種文献を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

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