私のお墓づくりへの想い

なぜ日本人は先祖供養をするのか、また仏教がはたしてきた役割とは何か

 その前に、なぜお寺との付き合いがいまだに続いているのかを考えてみたいと思います。
 明治時代には庶民とお寺との関係が強まるきっかけとなった寺請制度は廃止され、また大規模な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)(仏教排斥運動)も起きました。しかし、お寺と檀家の関係は消えることなく現在においても続いており、その関係の中心は先祖供養にあるのです。
 何故に我々は、江戸時代の政策をまだ保ち続けているのでしょうか。それは先祖供養というものが、日本人が古より培ってきた精神的基盤〈自然崇拝や祖霊(それい)信仰〉に仏教の教えが融合したものだからです(詳細は後述)。
 この融合は、寺請制度によって初めて創られたものではなく、先人達が長い年月をかけて日本人の心に自然に受け入れられるように努力を重ねて創りあげてきたものなのです。それ故に、先祖供養は日本人の心に自然に融け込み、お寺とのつながりと共に無意識のうちに続いて来たのだと、私は思っています。

 さて、日本には仏教が入ってくる以前から、「自然崇拝」や「祖霊信仰」という自然発生的な信仰があったと言われています。これは、〈神道(しんとう)〉(神社の神様の教え)の基盤の1つとされるものです。
 自然を征服しようとする欧米の文化と対照的に、日本は自然と共存する文化を持っています。その母体が自然崇拝です。山や川、または雨や雷といった自然現象にも霊魂(神)の存在を認め、自然の災害にはこれを畏(おそ)れ、自然の恵みには感謝を捧げてきたのです。
 また祖霊信仰とは、弥生時代に稲作が発展し定住的な農耕生活が安定してくると、農地を開いた先祖に感謝する気持ちが生まれ、そこから祖霊信仰が生まれたと言われています。

 古代の日本人は、自然に宿る神に魂を分け与えられて生まれ、ある時は畏れ、ある時は感謝して、神と共に生活し、死を迎えて始めは祟(たた)りを成す穢(けが)れ(気枯れ)た「死霊」となりますが、祀り鎮(しず)められることによって浄化され「祖霊」となり、また神に導かれて「神霊」となる。神となった先祖は常に子孫を見守り、恩恵を与える存在となる、と考えていたようです。
 この自然(神)や先祖(死霊・祖霊・神霊)に対する「畏(おそ)れる 祀(まつ)る 鎮(しず)まる 恩恵(おんけい)を受ける 感謝する」という日本人の心の底辺に流れる想いは、恨みを残して死んだ者を神として崇(あが)める「御霊(ごりょう)信仰」にもつながるもので、これは恨みを残して死んだ者の魂は怒り、数々の災いをもたらすとされるが、その魂を祀ることにより鎮まり、最後には恵みの神に変わるという考え方です。

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