この「自然崇拝」や「祖霊信仰」を基盤とする神道の考え方と、仏教の「先祖供養」の考え方を私なりに比較してみます。
亡くなったばかりの魂は穢(けが)れ、荒々しく、祟(たた)りを成す「死霊」となる。 | 罪を背負ったまま亡くなったご先祖様は、来世で苦しんでおられる。このままでは災いが降りかかってくるかもしれない。 | |
魂は祭祀(さいし)することにより浄化される。 | ご先祖様の罪を消すために供養する。 | |
浄化された魂は「祖霊」となり、神に導かれて「神霊」となる。 | ご先祖様は供養されることで、苦しみから解放される。 | |
神となったご先祖様は、我々に恩恵を与えてくださる。 | 苦しみから解放されたご先祖様は喜び、我々に恩恵を与えてくださる。 | |
ありがとうございます。 | ありがとうございます。 |
となります。つまりこれは先祖供養が、仏教が伝来する以前からあった日本人の心の底辺に流れる考え方と同一線上にあったということです。仏教がここまで日本人の心に融け込めた理由の根本はここにあると私は考えます。
ただ、このようにして日本人の心に融け込んだ仏教には大切な役割がありました。それは宗教として日本人の心を良い方向に教え導く、ということです。
このことを最初に行ったのが「聖徳太子」です。
太子は当時の中国の先進の文化・制度・技術を積極的に取り入れ、国家の体制を整えようとしました。なかでも特に仏教の信奉を奨励し、自ら宮中において経典の講義を行い、四天王寺(してんのうじ)を建てて、寺内に敬田院(きょうでんいん)、悲田院(ひでんいん)、施薬院(せやくいん)、療養院(りょうびょういん)をおき、病人や貧民の救済をはかり、仏教の研究と信仰と実践がいかなるものであるかを率先して人々に示し、国家の道徳を確立しようとしました。太子のこのような努力により仏教は朝廷の保護のもと、日本に根をおろすことになったのです。
先に触れた「お盆(盂蘭盆会)」のもとになった『仏説盂蘭盆経』に書かれていることをもう一度見てみると、このお経に書かれていることは、目連尊者が亡くなった母親が餓鬼道に堕ち苦しんでいるのを見て、お釈迦様にその苦しみより亡母を救う方法を尋ねるという先祖供養の話ですが、お経の中のお釈迦様の説法の内容は、先祖を憶(おも)い父母の恩に報いよ、という親孝行の精神に貫かれています。
「家」において、先祖を敬い親に孝養を尽くすことは、家の縦の秩序の要(かなめ)であると思います。このお釈迦様の説法は先祖供養に、より道徳的な意味を持たせています。江戸時代の寺請制度は、先祖供養を通して、人々の精神を養い、家や社会の秩序を武力ではなく、宗教の信仰によってそれを保とうとしたのです。