私のお墓づくりへの想い

私が望むお墓のあり方

 我々は亡くなられた方に対し「○○様のご冥福(めいふく)をお祈りいたします」という表現をよく用いますが、この「冥福」という言葉を辞典で調べると「冥界(めいかい)(死後の世界)における幸福」とあります。我々は亡くなられた方々の死後の世界における幸せを祈り続けてきたのです。
 私はご先祖様の冥福を祈るために、お墓は「供養」するための宗教用具であって欲しいと願っています。そのためには、

畏れる ・ 祀る ・ 鎮まる ・ 恩恵を受ける ・ 感謝する

という日本人の心の底辺に流れる想いをまず満足させ、同時に神様・仏様・あるいは何か大いなる力によって、亡きご先祖様と生きている我々を良い方向に教え導いてくださる宗教の存在が必要不可欠であると私は強く感じています。
 先人達は、この先祖供養の中に精神を養う機会を融け込ませてきたのです。長い年月をかけ日本人の心に自然に受け入れられるように努力を重ねて創りあげてきた「供養」という文化を、変化する時代に翻弄され伝統的な宗教と共に捨て去ってしまえば、私たちが失うものは大きいと思います。
 それは、
先祖供養の内にある直接会ったこともない多くのご先祖様を思うことにより
ご先祖様がいたから今の自分がいる、という命のつながりを感じることや
宗教としての道徳的な精神に接する機会さえも失ってしまうのではないでしょうか。

 目には見えませんが、我々の命と同様に文化や精神も古より今日までつながっていることの大切さを考える必要があるのではないでしょうか。

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