私のお墓づくりへの想い

終わりに

 墓石屋の家に生まれ、商売の役に立つだろうと多少仏教の勉強もしました。
そんな私が「お墓とは何ですか」と聞かれた時に、「先祖を供養する」ということや、ここ数年のお墓に対する捉え方が、「供養」から「生きてきた証の記念碑」または「思い出碑」に変わってきていることに違和感を抱いてしまうことを、言葉でうまく説明できませんでした。
 しかも私にはまだ他に分からないことがありました。それは、なぜ仏教が先祖供養という形で今に続いてきたのか、その理由が分かりませんでした。
花山勝友先生が言われるように、
 「仏教は、正しい教えを実践することを通して正しい智慧を獲得し、それによって悟りの状態である仏陀に到達することを教える宗教であるから、あくまでもこの世に生きている人間のための宗教であり、決して、死者のための宗教でも、死後の世界のための宗教でもなかった。
 したがって、仏教の創始者である釈迦牟尼仏はもちろん、日本仏教各宗派の宗祖のだれ一人として、先祖供養や死者儀礼を積極的には行っていないのである。」(註2)

 私はこのように思っていましたし、今でも花山先生の言われていることが仏教の本来の姿であると思っています。
 しかしそこには、「先祖供養」はないのです。ところが、以前買った本を読み返していた時にその解決の糸口になる文章がありました。そこには、
日本人は死者の霊魂の実在をつよく信じてきたこと
そして
その霊にやすらかな無限の世界を与えるのは、宗教のほかにはないということ
また
死者儀礼に仏教が宗教として係わることで社会の秩序を保ち、
日本人の精神生活をゆたかにしてきたこと

など、私が墓石屋としてこれまで肌で感じてきたことが書かれてありました。

註2/『先祖供養と葬送儀礼』
現代人と先祖供養 花山勝友 大法輪選書

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